5 農業

さかわのお茶通信 ■  さかわ茶探偵、文明開化の鐘に驚く

お隣越知町の片岡沈下橋の近く、かつて片岡城のあったお膝元に、茶園堂跡が今も残っています。
片岡城主はこの茶園堂で、その名の通り茶を振る舞っていたという記述が、設置されていた立て看板に書かれており、その辺りを掘れないだろうかと越知町の図書館に問い合わせています。
廃藩置県前とか町村合併前とか、今とは違うさかわの姿に触れるおもしろさと、今の町の枠組みでの探りにくさを感じいてます。さかわ茶探偵としましては、現佐川町と関係がありそうなものは大体さかわ茶の歴史だとざっくり範囲を広げております。

ここで驚いたのは、去年誘われるがままに踊りにいった、瑞応の盆踊りが深く関わっていたことです。
茶園堂跡を見学している際、たまたま通り掛かったご近所の方にお話を伺ったところ、この屋根付きの茶園堂で瑞応と同じくらいずっと盆踊りを続けている。踊り手も唄い手も継ぐ人がいなくて、最近は近くの学校で踊りを教えるようになっていると、お話し頂きました。

そしてあの謎の踊り、絵島、が、起源を同じくしているので茶園堂も瑞応も(おそらく)同じ踊りだろうとのことでした。
瑞応と越知と、同じ踊りを何百年も絶やさずに引き継いできたことは、中々すごいことだと思います。
瑞応寺ではお茶を栽培していたこともあり、知らず知らず所縁のあるところへ連れて行ってもらっていました。

さらに、時代は変わり明治維新が起きた頃のことです。
共立社や立志社が設立し、殖産興業として製茶や養蚕、製紙が謳われていました。
植木枝盛や板垣退助、歴史の勉強をしていた時に聞いた名前とこんな所で再び出会うとは。驚きました。
なお、その頃に現佐川町域内で製茶工場は建てられていませんでしたが、2町弱の畑を共立社が持っていたようで、当時茶畑か桑畑か、三椏や楮、何かを育てていた模様です。引き続き調査です。

●紅葉

何かとあれば乗台寺にお参りをしている派なので、清源寺はあまりご縁がなかったのですが、牧野公園に行った時、綺麗に色づく紅葉に惹かれひっそり石段を登りました。
昨年人づてに、高知は紅葉する木が少ないと聞いていたこともあり、紅葉だ! と反応しました。
お茶も花も紅葉も、人間を待ってはくれないので、次でいいや、が通用しないと痛感する本年です。

紅葉を見下ろせる、不思議スポットです。

●秋整枝後の整えられた茶園風景

今年最後のお茶、番茶も摘み終わり、最後の最後に、次の春に向けて茶株を刈り揃える「整枝」を終えた茶園は、整えられた美しさを見せます。
新芽芽吹く時期の瑞々しい若緑の美しさもさることながら、茶農家さんが手入れをした茶園の美しさも、それに劣ることはないと思います。

●冬のお茶のたのしみ方

ここ何日か、寒い寒いと思っていた寒さが、いやまだまだだと言わんばかりにさらなる寒さが追加されてきております。
さて、寒い季節には暖かいお茶が恋しくなります。そんなわけで今月は、ほうじ茶についてお伝え致します。
ほうじ茶と言えばやはりあのちょっと焦げたような香りが特徴かと思います。
この前久しぶりに聞かれました、ほうじ茶ってどんなお茶を使っているのですかと。煎茶や番茶、かぶせ茶、烏龍茶など、お茶の時期や作り方でお茶の種類は違っています。
では、ほうじ茶とはどんなお茶なのか。その名前の通り、焙じたお茶を指します。原料は煎茶でも番茶でも決まりはなく、高温で火を入れた=焙じたお茶のことです。
中でも特徴的なのは茎ほうじ茶です。お茶の葉にどうしてもついている(というかお茶の葉がついている)茎の部分は、お茶を作る過程で退けられます。お茶にならないお茶の部分=出物(でもの)と呼ばれるものの内、茎はすっきりとした甘みがあり、焙じた茎はそのままぽりぽりと食べてもスナック菓子のような味わいでちょっと癖になります。
ほうじ茶はこの香りを立たせるために、熱湯でさっと30秒から1分くらいで淹れてみてください。お茶が軽く大きいので、一人あたりスプーン一杯くらいで淹れてみて、ちょっと物足りなければ量を増やしたり、浸出させる時間を長くしたり調整してみてください。
裏技としましては、余っているお茶を(なるべくきれいな)フライパンなどでじっくり焙じてあげますと、お手製ほうじ茶、なんていうのも作れてしまいます。お家の中に癒しの香りが広がります!
焙烙(ほうろく)という焙じる用の茶器もあるので、気になる方はググって見てください。

最後に、お茶の花が美しい季節のベストショットをお届けして、2020年の佐川茶ブログはお仕舞いでございます。引き続き、2021年もよろしくお願い致します。よいお年を。