鮎川哲也氏の推理小説を読んでいましたら、番茶を飲む件が何回も描かれていました。
思わずスマホで写真を撮りました。
佐川町は盆地だと、高知に来る前から聞いていました。
東京というシティで生まれ育ったもので、盆地という地形は、中学校の地理で習っただけでした。たぶんこれまでも色々なところで、盆地、という説明を目にしてきたと思うのですが、それがどういう場所なのかあまりピンときませんでした。
さかわ茶探偵を続けている内に、なぜ佐川町は昭和以前に茶の主要産地ではなかったのか(記録に残るほどではなかったのか)と疑問を持つようになりました。
佐川町で茶業が盛んになったのは昭和に入ってからです。茶業が儲かる時代に、勢いよく茶業を拡大してきた、というのが今現在判明している、佐川町の茶の歴史です。
ではその前、佐川町は一体何をしていたのか。ここで、盆地、という地形が初めて引っかかってきました。佐川町は盆地だったのです!
石高、という生産高の表示があったように、かつては(と言っても150年くらい前のことですが)米が主要作物でした。米をたくさん育てるには山間部より平地が栽培に適しています。盆地、は山や丘に囲まれた平地です。米を育てやすい地形なのです。佐川町は米や麦の栽培が主体だったと佐川町史にも書かれています。
一方で、米作などが向いていない山間部で、茶や三椏などが栽培されてきました。
黒岩地区の上の方(標高およそ300メートル)、四ツ白では、昔は紙を作っていたと聞きました。茶と紙と、それぞれの地域でどうやって選ばれていったかの経緯は、今のところ謎に包まれています。
GoogleEarthで高知を見ると、大きな河川の河口部や川沿いに人が暮らしていることがよく分かります。
大都市圏は、大都市になれる地形だったのだと(そういえば関東平野という言葉も何度も聞いてきました)見えます。
文字通り、違う角度でさかわ茶の歴史を覗き込むと、中々おもしろいのであります。
●春に向けて葉先を整える
髪を切ってから一月二月すると、段々毛先が揃わなくなってきます。髪を伸ばしている時は、ちょっと毛先を揃える程度にカットしてもらった方もいらっしゃることでしょう。
お茶の木も、寒い時期の休眠前後でちょっとずつ育ち続けています。
育った葉をそのままにしておくと、新芽を刈り取る時に古い葉っぱも入り込んでしまいます。
そのために、前髪や襟足を揃えるように、茶の木の表面を刈りならす作業をしています。季節は、春一番が吹いたら、だそうです。
●鳥なのか、星なのか
わんさかわっしょい体験博2020 №10 茶ボトルデザイン終了致しました。
さかわのお茶、さかわ発明ラボでのものづくり、高知県内のトッピングとさかわのお茶のコラボ、を参加者の方に体験して頂きました。
茶の葉が入っていると草むらのようで、そこから飛び立つ鳥に見えるとも感想を貰った。
参加者さんから「これ(カークボトル)で氷出しのお茶を淹れられますか?」とご質問頂きました。
その手があったか! と自分でも淹れてみようと思いました。
氷出しのお茶とは、名前の通り氷で淹れたお茶のことです。
お茶を飲んでいる気にならない(出汁のような濃い甘みがとろっと広がります)飲み物ができあがります。
手順はとても簡単なのですが、どうにも抽出時間が掛かってしまうことだけ難点です。
お茶の葉の量1人4gくらい。(カークボトルでは15gくらい)
氷は溶けきらなくても大丈夫なので、急須など容器に入るだけ入れる。
30分~1時間程度待つ。(待ちきれなければ、少量の冷水を足すと抽出時間が早まります)
お茶のうま味や甘みをぎゅっと凝縮した部分をすするように飲む贅沢茶。
2煎目、3煎目と、熱湯でおかわりを淹れれば今の季節でも温まります。
お家に1個急須があれば、色々お茶をたのしめるのであります。