クリスマスにイベントを行いました!
「のんきまるしぇ」@スノーピークおち仁淀川キャンプフィールド
前回の通信で、茶袋を担ぐことがサンタクロースの修行のようだと書いておりましたが、図らずもクリスマスにイベントをすることとなり、サンタクロースのように忙しい12月を過ごしておりました。
予定ではもっと広々とキャンプフィールドを使わせてもらうはずだったが、強風のため泣く泣く壁側へ移動した
よコジローの「よ」は横倉山、「コ」はコスモス、「ジロ」はメジロ、とのこと。よ、だけひらがなという謎が残った
当日の開催時間縮小など、手の行き届かないところもありましたが、来場者の皆さまの楽し気な様子や、出店して良かったという声が聞けて、主催者として嬉しく思います。
反省点も、やってみないと気付けもしないので、たくさんの良い経験が積みあがりました。
インスタで出店者さんの紹介などもしておりましたので、@sakawa.kyouryokutaiも見てみてください。
イベントも終わり、すっきりとした気持ちで年末年始を迎えられそうです。
●ひさしぶりの販促
今年度は中々イベントも少なく、さかわのお茶の販促が難しかったのですが、先日、アグリコレットにて販売して来ました!
何人かの方が、お茶を購入された後こっそり、「佐川の出身なの」と声を掛けてくださいましたことが、印象に残っております。東京というシティーで育った身では地元の特産品とかあまり実感がなく、佐川町の○○という物があるのは、結構な強みなのだと思うのです。
3年弱の作り物が積み重なって賑やかだけれど、まとまりがなくなってきたという反省点が見えてきた
さかわの茶史調査報告は、絵巻物風のれん物語になる予定
●さかわの茶畑紹介 ー上京編ー
前回の井関もそうですが、昔の地名で呼ばれる場所を紹介する時、現在の地名で呼ぶと味気なく思い、その土地の人が呼ぶ地名で紹介してしまいます。
黒岩地区の第2次集団茶園事業で拓かれた場所は、今でも「上京」と呼ばれ続けています。
何件かの農家がそれぞれの区画を持っている。
人によっては乗用機械で管理できるよう、傾斜を緩くし、畝も縦向きに植えている
現在は二ツ野と呼ばれる所の山の一部を切り拓き、大きな茶畑が作られたのは、今から四十五年くらい前のことです。当時四国一と(人によっては関西一とも)言われた茶工場とのセット事業でした。
お茶の木を新植しても、最初は中々育たなく、苦労をされたそうです。
今ではすくすく育っている
今でこそ、お茶の新芽の大敵、霜を防ぐ「防霜ファン」が立ち並んでいますが、当時はファンもなく、明け方冷え込みそうな時には新芽のために火を焚いていたそうです。
防霜ファンを下から撮影。一時期モノクロの茶畑写真を撮っていた
農家さんの努力と、技術の進歩で支えられてきた茶畑も、栗やショウガなどに転作されたり、放棄茶園となったり、複雑な顔を見せています。
転作のため掘り起こされたチャノキ。一体誰が植えたのか、梅の木も生えている
佐川町の出身の人が、いつまでさかわのお茶を飲めるのか。
お茶の木も機械も古くなり、農家さんも高齢化が進み、今、とても難しい局面です。
とりあえず、年末年始に地元のお茶はいかがですか?